ペーパー・ナイフは、ある仕方でつくられる物体であると同時に、一方では一定の用途をもっている。ペーパー・ナイフの本質とは紙を切ること、材質や商品としての実存は本質という目的があってはじめて現れる。では、俳優ではどうか。人間は本質のまえに実存があるが、俳優は実存のまえに役という本質がある。だからこそ、実存は多様であるし、そのありかたも興味が尽きないものなのであろう。役という本質を実存としての俳優がとらえるにはどうしたらよいだろうか?
俳優の本質たる『役』は、単にキャラクターという容れ物というわけではない。ペーパーナイフの本質が《紙を切る》ことであるように、役の本質にはかならず《与えられた役割》があるはずである。
であれば、その役割を理解せずに実存をもとめても目的ははたさないだろうし、役割を理解しない実存は見当違いなものになってしまう。