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テーマ決めて、感想語り合ったり意見交換したり。読書はアウトプットが9割の金言のもと、感想をアウトプットしあいましょう。
『歎異抄』 (岩波文庫 青318-2)
第一回は、親鸞の歎異抄(金子 大栄 校注)です。参加希望の方は同書をお読みの上コメントにてご参加ください。
歎異抄
書いてあることを置き換えながら読むクセがついている自分ですが、自分に都合のいいように解釈しているという事もあるかもしれません。
ぜひ、様々なお話ができますよう。
俳優として大成することも、善人として極楽へと往生するのも何れも並々ならぬ苦労があります。
歎異抄は、ひとりで出来ることは限られているから無理せず他人を頼りなさいよ
と、言われているかのようで、自力のみで大成しようとしていた若い自分にそっと勧めたいなぁと思えるような本でした。
自分などは、大いにその傾向があるのですが何か課題にぶつかった際などに、人に相談せず自力のみで解決しようと試みる事が多々あります。
もともとお山の大将気質だということもあり、誰か他の人に頭をさげるということが好きではありませんでした。
他所様に求める助けを負けることだと思わなくなったのは、主演かつスタッフとして参加していた公演の際に先輩に言われたひと言でした。
『タカ、信頼と信用は違うんだぞ。タカがなんでもやりたいのは知ってるし、なんでもできるようになろうとしてるのはわかるけど、手が足りない時には頼ってくれよ。信用はしてくれなくてもいいからさ。』
今回歎異抄を読んだ際に、この言葉が思い起こされました。
人間、どうにもならない時はある。
時間に、お金に、健康に…すべてを自分の思うがままに、かつ自分ひとりの力で満足のいく水準にまで引きあげるのは不可能に近い。
それは俳優の仕事にも繋がります。
俳優は商品であり、買ってくれるお客様、使ってくれるクライアント様がいなければ成り立たない商売です。
そう、自力ではなにもできない。それが俳優なのです。
演じる事はできても、脚本を書く才、音楽を作る才、広告をする才、より良く見せる才…様々な才能が集まって作り上げているのが総合芸術ともいわれる舞台の本質です。ひとりにスポットライトが当たっている裏では誰かの支えが必ずあります。
そう、俳優こそ他力を頼まねば本願を果たす事はできないのです。
デビューして間もない頃、レギュラーの座長をしていらした先輩に
『声優の世界は地獄みたいなもんなんだ。』
と、言われたことがあります。
これだけ聞くと ギョッ とするかもしれませんが続きがあります。
『地獄では、大勢の餓鬼が目の前にあるたくさんのご馳走を腕よりも長い箸を使ってどうにか食おうとしている。餓鬼は自分のことしか考えないからご馳走を独り占めしようとするし、自分だけでなんとか食おうとしてる。星野は、どうやったらご馳走にありつけると思う?』
そんな質問をされました。
自分の事しか考えなければ、腕よりも長い箸で飯は食えず、
独り占めしようとすれば、他の餓鬼に恨まれよう。
恨みを買えば地獄のようなこの世界、長く生きてはいられまい。
考え、先輩に返した答えはこうです。
他の餓鬼に食べさせてもらう
先輩は厳しい顔をクシャっとくずし、正解だと言ってくれました。
『オレたちはひとりでは何にもできない。きらびやかで派手な面だけが見えるけれども、たくさんの試練と苦労がある地獄みたいな業界だ。しかも自分の裁量で飯が食えるわけでもない。誰かに食わせてもらう仕事だから、誰かが困っていたら助けてやるんだぞ。』
と。今思えば、この言葉も他力の考え方に繋がります。
親鸞が父母のために念仏を唱えなかったように、自分のために独り善がりの演技をしないこと。自分が善かれと思った事でもそれが他力に求められていなければ独善となります。
役のため、作品のため、スタッフのため、視聴者のため。自分にできることを他所様にお渡しする。そうすることで結果、おおきな力となるのです。
そうして自力を離れ、他力自然に行われるようになればそれはすなわち、他人との縁を起こすということ。
縁を起こす。すなわち、縁起です。
演技は縁起ともいわれるように、他所様との縁を起こさなければなしえません。
歎異抄は、一貫してこの縁を起こすという話のように星野は捉えました。
このオンラインサロンで、読書会に参加していただいた皆さんとも縁あってのこと。
今後もたくさんの縁が起こせますように。
『歎異抄』 (岩波文庫 青318-2)
第一回は、親鸞の歎異抄(金子 大栄 校注)です。参加希望の方は同書をお読みの上コメントにてご参加ください。